ゆめのはなし

*最初に収録している話では綱手が火影を続けている設定で書いています。
*浄土の設定をかなりねつ造している上に妄想成分増しましな内容となっております。
*後半部分で【はじめの、一歩手前】の内容にも少し触れております。読んでいなければ全くわからないというものではありませんが、先にあちらをお読みいただいてからだと後半部分の文章がわかりやすいかと思います。




お揃いの深緑色のベストを着込んだ大人が三人。ああだこうだと言葉を交わす男二人に挟まれる形で二人よりも頭一つ低い女が困り顔でその話を聞いている。
三人の歩みは早歩きに近く、そうかと思えば男二人の口喧嘩にも似た掛け合いはその勢いを一切劣えさせることなく続けられている。
「いつまでぐちぐち言ってるわけ?」
「ぐちぐちは言ってねえ! ただ……」
「それをぐちぐち言ってるって言ってるんでしょ」
白銀髪の男がため息混じりに呟くと、それに神経を逆撫でされたのか黒髪の男が殊更声を荒げる。
「じゃあお前は納得できたってのかよ! カカシ!」
カカシと呼ばれた白銀髪の男は肩を竦めながら面倒臭そうに言葉を吐き出す。
「納得も何もそれが任務なんだからしょうがないでしょ。……まあ、ちょっと胸糞悪かったけど」
「やっぱりそう思うだろ!?」
カカシが小さく本音を付け加えると、黒髪の男がそれみたことかとその言に乗っかる。そしてまた「だけどさ」とカカシが続け、会話がいっこうに進まない。
現時刻が早朝であることを全く鑑みないその大音量のやりとりを見かねて、今まで沈黙を貫いていた女がとうとう口を挟む。
「それを飲み込むことも条件のうちだったんだから仕方ないよ。ね? オビト」
言葉の下にもう少し静かに話してねという思いを込めてはみたものの、きちんと言葉にしなければ相手に通じるわけもなく黒髪の男、オビトの声が小さくなることはない。
「でもよ、リン!」
「ほら、もう門が見えてきたからこの話はおしまい!」
リンがまっすぐ指さした先には里へ入るための門が厳かに存在を主張していた。
その言葉にさすがのオビトも閉口するしかなく、しかしまだ消化不足といった表情がはっきりと顔に滲み出す。それでも言いたいことをぐっと飲み込むと、三人は揃って里に入るための門を通過する。
完全に通過しきったところでカカシの歩みが駆け足になる。示し合わせたわけでも合図をしたわけでもなく飛び出したその背中を追いかけて、オビトとリンも併せて駆けだす。
通常であればきちんと整備された道を通るところだが、今日ばかりは急がなくてはならない事情があった。
だから与えられた任務を手抜かりなくかつ迅速に終わらせ、里までの道のりも疲弊した足腰に鞭打って急ぎ足で戻ってきた。
すべては今日この日に間に合わせるために。
近道とばかりに民家の屋根を伝って飛び、三人は火影の執務室への最短距離を取り、駆ける。
門から全速力で駆けてたどり着いたその扉は、時間が時間だからか早朝特有の静寂な空気も手伝ってどことなく重苦しい雰囲気を醸し出している。
「失礼します」
カカシは息を整えるため一つ深呼吸をすると、努めて冷静に扉を引いて、大股で部屋の奥に置かれている机の前まで歩みを進める。続いてオビトとリンが置いていかれないように入室する。
「おお、戻ったか」
早朝の執務室には目的の人物以外の姿はない。
右手を上げて三人を迎える現火影、綱手が肘置きにしている机の上にはよほど仕事が溜まっているのか、紙の山がいくつも出来上がっている。その中には今にも雪崩が起きそうなほど危ういバランスで積み上がっているものもあり、それを苦い顔で一瞥してからカカシは姿勢を正す。
「綱手様、報告をさせていただきます」
「ああ、よろしく頼む」
呟き出されたその言葉を待ってましたと言わんばかりに、カカシは今回の任務についての報告を始めた。


「というわけで……」
綱手への任務報告をしている間、カカシの様子は落ち着きという言葉からは程遠いものであった。
自分では表に出さないよう気を張っているつもりなのだろう。だが、普段のカカシをよく知る綱手にはその様子は全くもってらしくないと言わざるを得ないものであった。それこそ常日頃の冷静沈着さをどこへ置いてきたのか問い質したいほどである。
この後に控える重大イベントが余程楽しみなのだろう。その気持ちは綱手にもよくわかる。
わかるが、お前は子どもか! と一言喝を入れてやりたい衝動に駆られて仕方がなかった。
それでもなんとかその衝動を押し殺すと、綱手は心のうちでひっそりとため息を吐き出す。
カカシからしてみれば自分は冷静なつもりでいるわけなのだ。その場合、今の態度を指摘したところで、何の効果も得られないだろう。むしろ首を傾げられるかもしれない。
まぁ、今日ばかりは仕方ないか。なんたって大事な教え子の大事な日だしな。
綱手は肩を竦め、三人の後ろの扉を指差す。
「あとは報告書にして後日提出でいい。もういいからさっさと行け。今日は大事な日なんだろう?」
その言葉にカカシは深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
くるりと踵を返して最後にもう一度綱手へ頭を下げると三人は執務室から退出した。


任務に出て今日で五日。
途中で休憩をはさむことはあってもほぼ連日行動していた三人の体には、これでもかというほど疲労が蓄積されている。それこそ、この後に何もなければ家に帰って布団に体を投げ出したいほどである。
通常であれば八日はかかると言われた任務を半分の期間で終わらせ、おまけに里に戻るにも急ぎ足だったのだからその疲労も気持ちも誰もが頷けるものであった。
それでもそれを一切表に出すことなく颯爽と前を歩くカカシの背中を見て、リンは思う。
これが“先生”なんだなぁ、と。
大事な教え子の大事な日に疲れた顔なんて見せられない。意地もあるだろうし体裁もあるだろう。
しかしそれ以上にいまカカシの体を動かす原動力は喜びだ。心の底から嬉しくて仕方がないというのが誰の目からしてもよくわかる。
ずっと今日のために、なんとしても間に合わせるために任務に走り回ってきたのをオビトとリンは知っている。知っているからこそ、二人は何も言わずについてきた。
同じ人を先生と呼び慕い、苦楽を共に過ごし、そして同じように年を重ねた、かけがえのない大切な仲間として。
静けさが漂う廊下をしばらく歩いたところで、先頭を行くカカシが首だけを後ろにやり、オビトに視線を投げる。
「オビト、今日だけは絶対遅刻しないでよ」
「だから、好きで遅刻してんじゃねぇっていつも言ってるだろ!」
カカシとオビトの、周りに一切配慮しない言い合いがせっかくの静かな空気を壊していく。
先程の綱手の机の惨状を見ていなかったのか、それともいつものように弁に熱が入りそれを忘れてしまっているのか、何にしても今の二人、特にオビトには周りに配慮するだけの余裕は見受けられない。
これは後で綱手様に怒られるだろうなぁ。
これだけ大騒ぎしているのだ。さぞかし徹夜居残りの人間には堪えるだろう。怒りに来ないところを見ると、そこまでの元気がないのか、それとも呆れ果てて何も言えないのか。そもそも眠り落ちているのかもしれない。
何にしても後ほど喰らうであろう雷を今は考えないようにして、リンは先ほどと同じように仲裁役として割って入る。
「はいはい、カカシもオビトもそこまで! 今何時だと思ってるの! それに今日はこれからナルトくんとヒナタちゃんのお祝言なんだよ。今から盛り上がってどうするの」
「やべぇ! そうだった!」
リンの言葉にオビトは今の今まで忘れていたといわんばかりの声を上げる。それに追い打ちをかけるようにカカシが更に苦い顔でこぼす。
「なんで忘れてるかなぁ。何のために任務を早く終わらせてきたと思ってんの」
「わ、忘れてねぇよ!」
「いや、その顔は忘れてたでしょ」
カカシの呆れた声とオビトの反論する声が重なり、宥めるリンの困った声がかき消える。こうなってしまってはリンの言葉は二人の耳には届かない。
しょうがないなぁ、もう。
三人並んで屋外に一歩踏み出せば家屋や木々を照らす光で一瞬目が眩む。目の奥が少しだけ痛んで、でもその痛みは不思議と嫌なものではなかった。
リンが顔を上げて雲一つない青い空を視界いっぱいに入れ込む。心まで澄むような綺麗な青に自然と笑みがこぼれた。
「今日はいいお祝言日和になりそうだね」
ぼそりとこぼした言葉にいつのまにか静かになったカカシとオビトも同意の言葉を述べる。
「そうだね」「そうだな」
「ちょっと、被せてこないでよ」
「それはオレのセリフだ!」
いったい一日に何度口喧嘩にも似た言い合いをすれば気が済むのだろう。否、この二人が静かになったらそれこそ調子がくるってしまう。賑やかであるからこそ、この二人なのだから。
「二人とも、こんな縁起のいい日にもう喧嘩しないの!」
二人の間を抜けて、リンは一歩先でくるりと踵を返す。
「ほら、行くよ!」
カカシとオビトの手を取り、少し力を入れて引けば二人はバランスを崩して前のめりになる。
「うわっ、ちょ、リン! 引っ張るなって」
「わかったから!」
二人の慌てた声とリンの笑みが晴れ渡る青い空に溶けていった。 

夢を見た。
カカシとオビトと私が成長して、上忍になっていて、一緒に任務に走り回って、それでカカシの教え子でミナト先生自慢の息子のナルトくんと日向家のヒナタちゃんのお祝言にお呼ばれした夢。
照れくさそうに笑うカカシ。
まるで実の弟のことのように泣くオビト。
幸せで胸がいっぱいになっている私。
皆におめでとうって祝福されてありがとうだってばよって返すナルトくん。
目に涙を溜めて嬉しそうに言葉を紡ぐヒナタちゃん。
会場に集った全員が二人を祝福していて、きらきらと輝いていた。
もう、叶わない。
もう、願えない。
諦めたけれど、心の奥底でずっと憧れていた光景。そんな私の思いを具現化したような、幸せな夢。
いいなぁ。
羨ましいなぁ。
ああいう風になりたかったなぁ。
いくら言葉を積み上げたとしても決して届かない実態のないそれ。夢なのだから当然で、そして夢ならばもう、覚めなくちゃ。

さようなら。
楽しくて、愛おしくて、幸福な夢。

私はどんどん遠くなっていく夢の背中に手を振った。 

「リン、起きろ! リン!」
オビトの声にリンの意識が強制的に引っ張り上げられる。
「オビト……?」
リンが開けきらない瞼を擦り、ゆっくりと上半身を起こせば、オビトが押し倒さん勢いで両肩を掴む。
その衝撃で一気に眠気が吹き飛んだはいいが、できればもう少し静かに起こしてほしかったなぁ、とリンは口にできない本音をぐっと飲み込んだ。しかし興奮気味のオビトがそれに気付く余裕はない。
「行くぞ!」
「どこに?」
「現世だ!」
げんせ? ……げんせってなんだっけ?
まだ覚醒しきっていない頭でオビトの言葉を飲み込み、何度も繰り返し再生しようやく理解する。そして理解した途端に今度は驚いて目を白黒とさせる。
「え……!? 現世? だって、現世には」
「行けるんだよ!」
通常、現世へと繋がる道は閉ざされており一年のうちたった数日、お盆の期間にその道は開かれ、行き来が可能となっている。従って浄土にいる人々は普段は現世の様子を覗き見たり、思い出話をするなどして思いを募らせることしかできない。
ただ、どこにも例外というものはあるもので、ごく稀に道が開かれることがある。それは本当に予期せぬことであり、また道筋も通常とは違い、若干不安定であるため短い期間で閉ざされてしまう。また時期も不定期で次がいつ開かれるのかその予測すらできない。
だからリンは心底驚いている。まさかその日が当たるとは、と。
なぜその貴重な開通日が今日に当たったのか。考えても仕方のない疑問であるが、考えずにはいられない。何かしらの法則や開くための基準があるのか、それともただ単に“日がよかった”だけなのか。
だがそれもオビトの言葉によってすっかりかき消されてしまう。
「理由は分からなくてもこの際いいだろ! ミナト先生たちも待ってるからほら、早く!」
突然出てきたミナトという名前にリンは首を傾げる。
ミナト先生たちが待ってる……?
ミナトという名前と現世行きがどう関係するのか、いろいろと思考を巡らせてみるがリンの中ではその二つがどうしても繋がらない。
「ミナト先生にナルトって息子いたろ! あいつが今日祝言挙げるんだ!」
「……ナルト、くん?」
聞き覚えのある名前にリンは目を瞬かせる。そしてそれによりミナトと現世行きというキーワードが綺麗に繋がる。
ナルトくんがお祝言を挙げる。ちょうど道も開いている。だからそれを見に行こうっていう話なのかな?
リンはそう結論を導き出して、今度は“ミナト先生の息子のナルト”の情報を脳内から引っ張り出す。
リンはナルトに直接会ったことはない。しかし、いつもミナトとその妻であるクシナが誇らしげに口にしているため、どんな人物であるかはなんとなくわかっている。更に先日現世を覗き見した時にもその容姿を確認しているので“他人から見たナルト”はリンの中できちんと形作られている。
そして先程の夢。
それは一部を除いて妙に現実味を帯びた、ナルトが祝言を挙げる夢だった。
予知夢でも見たのかなぁ。……死んじゃってるのに。
リンは心の内で悲しく笑う。けれど夢がそのまま終わるのではなく、現実のものとして今まさに起こり得ようというのならば、それはとても嬉しいことで喜ばしいことだ。
オビトもリンも直接それに関わることはできなくとも、今を生きる人間の幸せを祈ってはいけないということは決してないのだから。
未だ興奮冷めぬオビトは楽しそうに次から次へと言葉を紡いでいる。まるで自分の身内のことのように、本当に嬉しそうに。
「それで相手は、」
「日向……ヒナタちゃん?」
リンに先んじて言われてしまい、今度はオビトが目を瞬かせる。どうして知っているんだと言わんばかりの表情を貼り付けて開いた口が塞がらないといった風だ。
リン自身も確証はなかった。ただ、夢で見たナルトの祝言の相手が日向ヒナタだったからという薄い根拠を基にしての言葉だった。どうやらこのオビトの反応を見る限り正解のようで、リンは密かに胸をなでおろす。
予知夢であり正夢となった夢。
嬉しい。本当に、嬉しいなぁ。……だけど出来るなら、生きてオビトとカカシと三人並んでお祝いしたかったなぁ。
言葉にできない思いをリンは胸の奥へ厳重にしまい込んだ。
「……リン?」
目を伏せ、寂しさを少しだけ滲ませた表情を浮かべたリンを見て、オビトが心配して声をかける。
「……大丈夫。うん、行こう。オビト」
小さく首を振ってやんわりと笑みを作り、リンはゆっくりと立ち上がった。


浄土から現世に行く事自体は難しくない。むしろ道さえ開けていれば散歩に出かけるような感覚で気軽に行くことができてしまう。だが、普段はその道が固く閉ざされているため現世と浄土との間には見えない大きな壁が立ちふさがっている。
ごく稀に決まった期間以外でその道が開かれることはあっても大抵一日で閉ざされてしまうため、気付いたとしても弾丸旅行並みの慌ただしさになるのは火を見るよりも明らか。だからだろう。必要に駆られている人間以外は基本的に足が動くことはない。
それもそうだ。いくら散歩に出かける感覚で行けるとは言っても、行ってすぐに戻るようなものでは意味などないに等しい。そして万が一道が閉ざされてしまい浄土へ戻れなかった場合のことを考えると、例え開いていたとしてもなかなか一歩が踏み出せない。
それなのに、だ。
リンの前を歩くオビトとこれから合流する予定のミナトとクシナはこの機会を逃してはならない、と行くことを決めた。
ミナトとクシナが張り切る理由はわかる。何せ愛する我が子の祝言なのだ。そんなめでたい日に、偶然か否かはさておき、現世に行けるとなれば当然行く以外の選択肢などない。あるはずもない。
ではオビトはどうだろうか。何故こうも前を歩いているのか、リンにはどうしてもわからなかった。
生前、ナルトと親交があったわけでもなく、師でもなければ友人というのも言葉が違う。敵対していたけれど最後には夢を託してきた、とオビトは自身とナルトとの関係性についてそう、リンに話したことがあった。
その言でいくならばオビトとナルトの仲は特別仲が良いわけでもなく、かといって悪いという程のものでもない。それなのにこうも張り切る理由がわからなかったが、言葉には出さなかったけど何か思うところがあったからなのかもしれない。
リンはそう思うことにして、このことについてはそれ以上考えることをやめた。
やめて、今度は先ほどから心の奥底で徐々に首を擡げている不安に目を向けることにした。
年に何回か、不定期ではあるが現世への道が開けるということがあるとはいえ、本当に行っても大丈夫なのだろうか。今回に限って道筋が不安定になってはいないのだろうか。行ったら道が閉ざされて戻ってこられない、なんてこともあるかもしれない。
通例では一日開けているとはいっても、リンは浄土におけるルールや法則に詳しいというわけではない。否、そんなもの誰も詳しいわけがない。教本があるわけでもない。皆自分の目で、耳で感じたことを口々に伝えているだけだ。
考えれば考えるだけ不安が少しずつ積もっていき、リンの足取りは重さを増すばかりであった。それが顔に出ていたのか、オビトがリンの顔を覗き込む。
「どうかしたか?」
「あ、えっと……本当に現世に行っても大丈夫なのかなぁって思って」
降り積もった不安を口にする。口にしたところでそれが無くなるというわけでもないが、リン一人の心の中に留めておくにはこの問題は少々大きすぎる。
「大丈夫じゃないか? 今まで危なかったことなんてないんだろ?」
「それは……そうなんだけど」
確かに今まで危ないことはなかったと聞く。しかし、今までは安全だったというだけで今日が同じく安全という保証はどこにもない。保証はないけれど、危ないという確実な予測があるわけでもない。
そうなると堂々巡りだ。そして結局のところは出たところ勝負になってしまう。
それならば、という思いが今もリンの足を止めることなく動かし続けている。
「不安なら別に行かなくてもいいんだぞ?」
「ううん、大丈夫。私もナルトくんとヒナタちゃんのお祝言をお祝いしたい」
「そうか」
その言葉に偽りはない。けれどそれ以外にもリンの中には祝言というものを自分の目で見てみたいという思いが少なからずあった。
十代半ばで浄土に来たリンにとって、祝言というのは自分では辿り着くことが出来なかった恋の先にあるもので、そしてとても興味を惹かれるものでもあった。そんな思いがあるからか、見られる機会が目の前にあるならば見てみたい、と思ってしまう。願ってしまう。
「ミナト先生たちが待ってるから早く行こう」
「うん」
リンが結論を導き出す頃には二人の足は待ち合わせの場所へとたどり着いていた。
「ん! 二人とも来たね」
「もう、遅いってばね!」
ミナトもクシナも愛する我が子の祝言に行けるとあって、普段よりも明るさ割り増し気味の表情を浮かべている。しかしミナトは教え子の手前、はしゃぎすぎないよう若干気持ちを抑えているようだった。
「ほらほら、行くってばね!」
急かすクシナを窘めつつ四人は揃って一歩を踏み出した。


真っ白、だなぁ。
何時ものことながらこの道には他に色というものが存在していないのではないかと思うほど、白一色に塗りつくされた道をしばらく談笑しながら歩いていく。いい加減歩いただろうと思ったところでようやく目的地に到着する。
「わぁ……!」
四人の目に飛び込んできたのは春の陽気が漂う開けた場所だった。白と薄紅色の花びらが舞い、それが青々しい空に流れて両者の色を互いに引き立たせている。
素敵だねぇ、と目を輝かせるリンを横目にオビトはぐるりとあたりを見渡すと、見知った顔を何人か見つける。見つけたところで声をかけられるわけでもなく、オビトは少しだけ苦みを混ぜた表情を浮かべる。
場にはいくつかの卓が用意され、集った人々は皆きれいに着飾って各々思い思いの相手と話しながら主役の登場を今か今かと待ちわびているようだ。
「ついに来たってばね!」
「ん! そうだね」
愛する息子の晴れ姿をこんな間近で見られるとあって、ミナトとクシナは傍から見ても浮かれていて、幸せそうで、待ちきれないといった様子だ。だがそれは周りの人間にも言えることで、集まった人々の笑みでこの場全体が華やいでいる。
オビトとリンははしゃぐ親二人と別れ、薄紅色の花を咲かせる木の下で静かに主役の登場を待つことにした。
「あ……」
するとリンが何かに気付いたような小さな声を上げる。それにつられるようにしてオビトがそちらへ顔を向けると、視線の先には礼服を着込んだカカシの姿があった。
「カカシ……来てるんだねぇ」
ぼそりと消え入りそうな声に一瞬オビトは躊躇し、言葉をこぼす。
「そりゃ来てるだろ。あいつ、ナルトの先生なんだし」
「そうだよねぇ……」
複雑そうな色を混ぜてリンが笑みを作る。
「カ……」
「……?」
「なんでもない」
カカシのそばに行くか? と言いかけて、オビトは慌てて口を引き結ぶ。
行きたいはずだ。
カカシへの恋心に決着をつけた、とリンが涙と共にこぼしたのはついこの間のこと。その手が触れることもその声がカカシの耳に届くこともないが、それでもずっと思っていた相手がいま、目と鼻の先にいるのだ。
行きたくないはずが、ない。
ぐっと胸の奥が痛んで、オビトはリンに悟られないようにぎゅっと下唇を噛んだ。
「…………」
「…………」
途切れてしまった会話。
間をもたせるために何か話題はないか、こういう時は何を言うべきなんだとオビトがぐるぐると悩んでいるうちに、本日の主役二人が盛大な拍手とともに迎えられる。
少し離れたところにいるミナトとクシナを窺えば、到着時よりも割り増し気味のテンションで主役たちを迎えていた。そして、そんな会場の盛り上がりに背中を押されるようにオビトとリンも拍手で二人を迎える。
前を通り過ぎる主役二人は、リンが先ほど見た夢の、あの幸せな二人と何一つ変わらない。
会ったこともなければ話したこともない。ただ一方的にリンの方が知っているだけ。けれど二人の成長した姿を夢ではなく、ちゃんと自分の目で見られたことが胸が詰まるほど嬉しくて、リンの視界がうっすらと涙で滲む。
「きれいだね」
「ああ」
「幸せだね」
「ああ」
「いいね」
そのいいねが祝言に対するものなのか。
自分も白無垢を着てみたいという願望なのか。
幸せそうで羨ましいなという思いから出たのか。
オビトがその言葉の真意を上手く掴めず、そっとリンの横顔を窺うと、まるで成長した弟妹を見ているかのような慈愛に満ちた表情を浮かべていた。その笑みがリンの言葉全てを含めているのだと悟る。
きれいで、幸せで、いいな。
もうリン自身では手にできない素敵なこと。だけどそれを恨むことも妬むこともなく、心の底からそう思って言葉を紡いでいる。それを知っているからオビトも長く言葉を紡がない。
「そうだな」
小さくオビトが呟くとリンは笑みを返す。
主役二人が壇上に上がり祝福される中、ふと視線を外すと皆の輪から少し離れたところで一人ポツンと佇むカカシの背が飛び込んでくる。
その瞬間、オビトとリンはほぼ同時にその背に向かって駆けだした。距離にして十数歩。どこか寂しさを滲ませる背中に向けて、二人はせーのと声を揃えて手を突き出す。
「そんなところで、」
「ぼさっと立ってんじゃねえ!」
当然霊体なのでカカシの体に二人の手が触れることはない。しかしちょうどその時、タイミングよくカカシの背に向けて強めの風が吹いた。
「……!」
見えないはず、聞こえないはずなのに、カカシがゆっくりとオビトとリンの方へ振り返る。
振り返って、一瞬驚いた顔をして、そして隠された口元が微かに動く。

あ り が と う

カカシはナルトたちの方へ向き直ると、縫い付けられていた足を踏み出す。
その一連の流れが妙にオビトとリンを意識したもので、二人して顔を見合わせて驚いた表情を作る。
「……カカシ、もしかして気付いたのかなぁ?」
「まさか」
そう言いつつも、そうであったなら嬉しいと二人は笑みを作った。


花の雨を受けながら笑顔に囲まれるナルトとヒナタに手を振ると、ミナトはクシナの腕を少し強めに引っ張る。
「ん! じゃあそろそろ戻ろうか」
「も、もうちょっとだけナルトの晴れ姿を見ていたいってばね!」
「そう言ってもう小一時間ですよぉ」
リンが苦い顔を作り、後ろからクシナの腰をこれでもかというほど押している。
引っ張るミナトと踏ん張るクシナ。そしてクシナの腰を押すリン。まるで本物の親子のような光景にオビトは複雑な表情を浮かべ、三人のことを眺めている。
「もうちょっとだけ! もうちょっとだけだってばね!」
「だめだよ」
駄々をこねるクシナの目をしっかりと見据えて、ミナトは笑みを作る。有無を言わせぬそれを見て、クシナはこれ以上抵抗をしても無駄だと悟る。
元より制限時間つきの弾丸旅行。時間が過ぎて帰れませんでしたとあっては大変どころの話ではない。
渋々了承というかたちでクシナは踏ん張っていた足を前へと進め、あとはミナトに任せても大丈夫だろう、とリンはそっと手を離した。
「大変だな」
オビトが色々とひっくるめた感想をぼそりとこぼす。
「そうだね。でも、帰りたくないっていうのは少しだけわかるかな」
オビトの隣を並び歩くリンは困った笑いを作っている。それに反応できず、オビトは沈黙を守って返答とした。

「……?」
不意に何かに引かれるような感覚を覚え、リンが背後を見やる。
そこには小さく手を振るカカシの姿があった。
相変わらず口元が隠されているため正確に読唇することは難しいが、布越しに動く口の形と緩やかな笑みで、その内容をどうにか理解しようとリンは目を凝らす。

ま た ね

そう、カカシの口元が動いた気がした。
どうしようか一瞬躊躇して、それでも、もしかしたらという思いでリンはカカシに手を振った。

「リン……?」
隣にいたはずのリンがいつのまにかついて来ていないことに気付き、慌ててオビトが振り返ると、嬉しさと寂しさを足して割ったような表情を浮かべたリンが駆けてくるのが見えた。
「ねぇ、オビト」
「ん?」
「なんでもないやぁ」
「……?」
頭の上に疑問符を浮かべつつ、オビトはそれ以上言葉を紡がなかった。


「…………」
「カカシ先生どうしたってばよ!」
いつまでも妙なところをぼーっと見ているカカシを不思議に思ったのか、今日の主役の一人であるナルトが興味津々といった様子で駆け寄る。
「ああ、うん。なんでもないよ」
首だけをナルトの方へ向け、カカシは柔らかく微笑む。
「ふーん? そっか」
本人の口からなんでもないと言われてしまえばそれ以上の追求もできず、ナルトの返事は淡白なもので終わる。
それでもカカシがずっと同じところを見ていたのだから何かしらあるのかもしれない、そしてもしあるのであれば何を見ていたのか少しだけ知りたいという思いから、ナルトはカカシと同じ方向へ目を凝らす。
しかして、ナルトの視界に広がるのはただただ白と薄紅色の花雨だけ。その光景に首を傾げ、一拍間をおいてナルトは眉をしかめる。
「もしかしてカカシ先生、幽霊でも見たってばよ?」
「そうかもな」
ナルトの冗談に笑みを作ると、カカシはくるりと踵を返した。