はじめまして、さようなら



「だから、なんでいつも遅刻するかな」
「しょうがねぇだろうが! 目の前を大きな荷物を持ったばあ――」
「はいはい、いつもの嘘ね」
「嘘じゃねえって言ってんだろ!」
「もう、二人ともいい加減にしてよ」
そこには白銀色の髪の男の子、黒髪の男の子、焦げ茶色の髪の女の子、そして三人のやり取りを苦笑いしながら見つめる黄色の髪の男性、そしてカメラの後ろに立ち、不機嫌な表情を崩さない初老の男性の計五人の人物がいた。
男の子二人と女の子、そして成人男性はお揃いの額当てをしているところからこの国の忍だというのがわかる。そしておそらく不機嫌な男性は格好や状況から考えて写真屋さんだろう。
私の考えを裏付けるように、女の子は男の子たちに声をかける。
「ほら、もう写真屋さんだって待ってるんだから!」
正論を前にして男の子二人は黙って顔を背ける。けれどそうしなくてはいけないというのは二人とも理解しているらしく、渋々カメラのレンズを見つめる。
「ん! 三人とも笑って」
「……」
「……」
「ピース」
カシャリ、とシャッターが切られる。
映し出された写真は焼き増しをしてもらって四人全員の手に渡り、それを各々が大事そうに持って帰った。
幸せ――なのかどうかはわからないけれど、少なくとも楽しそうな雰囲気は伝わってきた。
きっとこの四人の仲は見るほど悪くはないのかもしれない。

バチン、と電気が消されたかのように視界に何も映らなくなる。そうかと思えば、次の瞬間には場面が変わっていて、黒髪の男の子と女の子だけになっていた。
「オレ、先に行って待ってる! それでリンが生まれ変わったら絶対見つけるから! そしたらまた一緒に班組もうな! 約束だからな!」
そう言って男の子は小指を差し出す。女の子は満面の笑みでそれに自分の小指を結ぶ。
「うん、オビト。約束だからね」
「ああ、約束だ!」
にっかり、という表現が合いそうなくらい白い歯を見せて男の子は笑い、それから何度か瞬きをする間にその体が徐々に透けていく。その様子を女の子が寂しそうな表情を浮かべて見守っている。
「――じゃあね、オビト」
「ああ……またな、リン」
声だけが女の子しかいなくなってしまった空間に小さく木霊した。


不思議な夢を見た。大抵、夢なんて起きたら忘れてしまうものなのに、その夢はいつまでも私の頭の中に留まり続けていた。というよりも夢で見た写真のように焼き付いた、という表現が正しいのかもしれない。目が覚めてここまで鮮明に記憶に残っているなんて初めての経験だった。
何度か瞬きをして、深呼吸もしてゆっくりと布団から上体を起こす。
「……なんだったんだろう」
零した独り言は誰に拾われるでもなく静かに部屋の中に溶けていく。
最初に見た夢はある忍たちの写真撮影の場面、そして次は男の子と女の子が別れの挨拶をしている場面を私が空中から見ているといった、どうにもおかしい夢。
私がおかしさを感じたのは二つ。夢に出てきた男の子たちは知らない人だったということと、女の子の方は私と同じ顔をしていたということ。頰に紫のペイントをしていることを除けば、私そのものの外見をした女の子だった。
夢は自分の経験や体験を睡眠時に脳が整理をし、その過程を再生している、という話を聞いたことがある。だとすればあの私そっくりの女の子は、私自身ということになるのだけれど、生憎とあんな経験をした覚えはない。
じゃあ、いったいあれは何だったのだろう。
もしかしてドッペルゲンガー……? 世界には自分と同じ顔をした人間が二人……三人だっけ? いるという類の話だった気がするけれど、それにしたって顔も同じなら名前も同じというのが引っかかる。夢の女の子も私と同じ名前――リンと呼ばれていた。同じ顔、同じ名前の赤の他人なんて宝くじが当たるよりも存在確立は低そうだけれど。でも、もしドッペルゲンガーだったとしても私の夢に出てくるのはやっぱりおかしい。私は私のドッペルゲンガーにも未だに会ったことはないのだから。
それじゃあ……あれは未来視だったとか? でもそれなら今の私と年齢が近すぎる……というか殆ど同じ年齢に見えたし、ドッペルゲンガー同様、あの男の子たちに会ったこともなければ見たこともない。最後に交わしていたあの二人の会話からして一日二日の短い付き合いだとも思えない。それこそ何年も一緒にいるような、そんな仲の良さが窺えた。もし仮に近い将来あの男の子たちと出会ったとしても、あそこまでの仲になるまで相当の日数、もしかしたら年数がかかるだろうし、あんな深い会話はできるはずがない。
じゃあ、あの夢はいったい何……?
色々な可能性を考えては切り捨てていくと、頭の端の方にこれだけはあり得ないとしていた一つの可能性が蘇る。夢物語というか、こんなの本の中でしか起こり得ないことだと思っていたけれど。もしかして、あれは――。
「私の……前世?」
言葉にしてみたものの、いっこうに現実感なんてものはついてこない。むしろ口に出した途端に空想感が増してしまった感じさえある。だけど夢の中の状況や登場人物の容姿を考えるともうあとはそれくらいしか考えつかない。顔も名前も同じ前世、というのはあり得るのかと思うけれど。そもそも前世という存在自体があやふやというか、確実に科学で証明されているものではない。だからこれが正しいとわかるわけではないのだけれど。
だけど、前世の記憶が私の頭の中にあるとするならば、夢に見ることの説明は一応つくことになる。何せ、夢は自分の経験や体験を睡眠時に脳が整理をし、その過程を再生しているのだから。その経験や体験が前世のものにまで対象になるかどうかはさっぱりわからないけれど。
「はぁ……」
色々と考えて疲れてしまった脳を休ませるように大きく息を吐き出すと、途端に体の力が抜けて背中から布団に倒れこむ。
すっかり冷たくなってしまった布の感触を背中に感じながら、いけないなと思いつつもゆっくりと瞼を下ろす。
いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めてしまったからか、睡魔はすぐに足を伸ばしてきた。


「先生、こんにちは」
「こんにちは、今日はいい天気ですね」
親から受け継いだ診療所で医師として働き始めたのが数年前。馴染み、というと語弊があるかもしれないけれど、こうして挨拶を交わすくらいの親交を持つ患者さんもできた。
両親が亡くなって一人でここを切り盛りするのは大変な時もあるけれど、大抵はこうしてのんびりとした時間を過ごしている。経営的にはよくないのかもしれないけれど、医師が忙しくないというのは急患があまりいないということ。つまりは命の危機に瀕している人が少なくとも私の近くにはいないということ。
こんなことを思ってはいけないのかもしれないけれど、それはとても喜ばしいことだと思う。
「はい、じゃあこれで検診は終わりです。お疲れ様でした」
「いつもありがとうね」
「いいえ、これも仕事ですから」
カルテに必要事項を記入しながら、ふと目線を上げると患者のおばあさんとばっちり目が合う。
あ……、と思った瞬間には私は驚きの提案を口にする。
「あの……、この間美味しいお茶をいただいたのでよかったら今度お茶会をやりませんか?」
口に出した直後に医師の領分を超えた発言だったと後悔したけれど、私の表情を読み取ったのか、おばあさんはにっこりと可愛らしい笑みを浮かべて「ええ、ぜひ」と二つ返事で了承してくれる。提案しておいてなんだけれど、まさかいい返事をもらえるとは思っていなかったから私は少しだけ目を見開いた後、慌てて笑みを作る。
「あ、ありがとうございます」
「ふふ、こちらこそ誘ってくれてありがとう」
「えっと……じゃあ今度の日曜日とかどうですか?」
「ええ。大丈夫よ」
帰り支度をしながらおばあさんは楽しみねぇ、と何度も繰り返す。その様子になんだか私まで楽しくなってくる。
不思議だな、と思う。この人には患者さん以上の何かを感じるというか、一方的にではあるけれど、とても親しみやすさを感じることがある。それこそ祖母のような、と言っても過言ではない。
だから、というわけではないのだけれど、先ほどは思わずお茶飲みの提案をしてしまった。
なんだろう、もっと話をしていたい――というわけではないのだけれど、この人と話していると心が温かくなるというかほんわかする気がする。
「それじゃあ、今度の日曜日にね」
「はい」
そんな会話を交わしてから時間が経つのは早いもので、遂に約束の日曜日がやってきた。
朝から気持ちがそわそわとして落ち着かない。
お茶の準備も身支度も早々に終えてしまい、やることが無いから室内をうろうろとしてしまう。
そんなことを何回か繰り返していると、外に人の気配を感じる。今このタイミングで出て行っても大丈夫だろうかと何度か自問自答をして、意を決して扉を開ける。と、そこにはおばあさんと黒髪の男性が立っていた。おばあさんの付き添いの人だろうか、なんて考える前に私は驚いて声を上げそうになる。
まさか、そんな――。
「こんにちは、早かったですね」
動揺しているのを悟られないように、なるべく平静を装って声をかける。少し声が上擦ったけれど、どうやら気付かれなかったようでおばあさんは柔らかい笑みを浮かべている。
よかった……。
「ええ。この子に途中でおぶってもらったもので……あら?」
おばあさんの視線が私と同じ方向へ行く。その視線の先は、男性。その男性といえば先ほどからじっと視線を私へと向けている。
「あの、えっと……私の顔に何かついてますか?」
流石にこれ以上は耐えきれなくなって戸惑いがちに問いかけると男性は、はっと我に返ったように今度は困惑した表情を見せる。
「あ、え……っと」
上手く言葉が出てこないのか、それとも何を言うべきなのか迷っているのか、それこそ初対面の私がわかるはずはないけれど、これだけははっきりとわかる。この人は困っている。何に困っているかまではわからないけれど、とりあえず話をするにしても一回落ち着いてもらった方がいいかもしれない。
それに――。
心の奥底にかすめる思いを自覚しながら、私はにこりと笑みを作る。
「あの、立ち話も何ですし中にどうぞ」
おばあさんと、そして男性に向けて言葉を投げる。
「いや、オレは……」
「ほら行きましょう」
男性が一歩足を引こうとしたところで、それをおばあさんがやや強引に手を引くことで制す。
まさかおばあさんがそんなことをするとは思ってもみなかったのか、男性はされるがまま診療所の中まで連れ込まれる。
なんだか親子みたいだなぁ。
二人の会話に耳を傾けながら急須に湯を注ぎ、それを湯呑に順番に回し注いでいく。途端にお茶のいい香りが鼻を擽る。
二人が席に着いたところでお菓子と湯呑をそれぞれに配る。
「どうぞ」
おばあさんはいただくわね、とお茶とお菓子に口をつけるけれど、男性の方はじっと湯呑を見たまま固まってしまっている。
出したものが好みに合わなかったのかと思ったけれど、どうやら何かを考えていたようで、私がおばあさんとお茶の話題をしていると、恐る恐るといった感じで湯呑を手に取ってくれた。続いてお菓子を口に含むとほんの少しだけ男性の頬が緩んだ気がした。
「お気に召してもらえましたか?」
嬉しくなってつい声をかけてしまう。
私の声で顔を上げた男性はなんだか形容しがたい表情を浮かべている。けれどそれもすぐに消え去り「お、美味しいです」と消え入りそうな声で返答をもらえる。
それがまた嬉しくてそうですか、よかったですと返せば、男性は何かを決心したかのような強い表情を浮かべ、小さな深呼吸の後、私の顔をじっと見つめてくる。
「あの……」
戸惑いがちに出された言葉。何か訊きづらいことを訊こうとしている、というのは私の目から見ても明らかだった。
もしかしてこのお茶やお菓子のことについて訊きたいのだろうか。こう言っては失礼なのは重々承知だけれど、確かに男性でお茶やお菓子についての話を訊くのは少しばかり緊張するのかもしれない。私の周りの男性――と言っても父親や患者さんだけれど、あの人たちも滅多にこの手の話題は訊いてはこなかった。
気恥ずかしいのか、それとも単に興味がなかったのか。どちらにしても男性からしてみたら普段の会話ではそう頻度の多くない話題であることは推測できる。
だからなるべく私はなんでもない、普通の会話の糸口の一つとしてそれを迎える。
「はい、なんでしょう?」
けれど男性の話は私の想像とは全く違うものだった。
「昔、夢に女の子が出てきたことがあって……その子があなたにとても似ていて、それで……」
言葉にしていくうちに男性の中での戸惑いと迷いが大きくなっていったのか、だんだんと尻すぼみになっていく。
それは確かに訊きづらいことではあった。というよりも、どんなに思っていても口には出せないような話題だった。けれど、私にそれを跳ね除けることなんてできるはずがなかった。
だって、私もそう思っていたのだから。
玄関を開けて、この人の姿を見た瞬間、思ってしまったのだ。昔見た夢に出てきたあの男の子にそっくりだ――と。正確にはあの男の子の成長を想像した姿にそっくり、だけれど。
初対面の二人が登場人物は違えど、同じような夢を見る――こんなことあり得るのだろうか。
科学的にはあり得ないという方に傾くのだろうけれど、でもまだこの世には科学では説明がつかないこともたくさんあるとも思っている。不思議なものや現象を非科学的だからと跳ね除けるよりかは、何故だろうと考える方がよっぽど建設的だと思うし、そこから新たな発見や知見を得ることだってある。だけど現段階では私と、そしてこの人に起きた現象には全く説明がつかない状態だというのも確かで。
だから私はただただ動揺していることを隠しつつ思ったことを口にすることしかできない。
「夢……? 私が……?」
自分でもどんな表情を作ったかはわからない。けれど、男性の表情を見るに、変な顔はしていないのだろうということだけはわかった。
「あの、」
男性が身を乗り出すのと同じタイミングで診療所の扉が勢いよく開かれる。
入ってきたのは二人。一人はこの近所に住んでいる男性。そしてその男性の背にはぐったりとした様子の老人がおぶさっている。私はすぐさま立ちあがり駆け寄る。
「どうかしましたか!?」
「じいちゃんが突然倒れて、それで、あの俺……!」
気が動転していて上手く容体を説明できないのか、男性は顔を青ざめたまま、あの、とその、を繰り返す。
このままでは埒が明かない、とひとまず男性に老人を寝台に寝かせるよう指示をして、必要な器具を持って手袋をはめる。ライトをつけて老人の状態をくまなく診てから立ち尽くす男性に首を傾ける。
「おじいさん、ここ数日の間で頭を打ったりしませんでしたか?」
私の問いかけに少し考えるような素振りをしたかと思うと、男性は、はっと顔をこわばらせる。
「そういえば……」
「おそらくそれが原因で昏睡状態になっていると思います。残念ながらここではこれ以上の処置をできる設備はないので里の中心部にある大きな病院の方へ移送します」
いいですね、と一応確認をとれば男性は力なく首を縦に振る。
事は一刻を争う。急いで病院へ電話をかけて人を寄こしてもらう手筈を整えると、男性に老人の症状を書いた紙を渡す。
「これを担当してくれる医師に渡してください。そうすればあとは向こうの人たちが判断をして適切な処置をしてくれます」
「ありがとうございます、先生」
男性は深く頭を下げ、患者を搬送するためにやってきた医師と看護師に連れられて病院に向かった。
後に残されたのは私一人だけ。
いつの間にかおばあさんとあの人はいなくなっていた。恐らく診察の邪魔をしてはいけないと気遣ってくれたのだろうというのは容易に想像できる。
「……ふう」
小さな吐息は室内にそっと溶けていく。
もう少しあの人と話をしてみたかった。それにおばあさんにも悪いことをしてしまった。あの人は足が悪いから家からここまで来るのも一苦労なはずなのに。
じゃあ、あの老人を診なければよかったのかと言われるとそれは医師としての自分が許さない。人を救うために医療を学んだのだから、目の前で怪我や病に苦しむ人を放っておけるわけがない。
「……はあ」
今度はため息を吐き出して、そばにあった椅子に腰かける。
「また、お茶呑みに誘ってもいいのかな……」
誰に問いかけるでもないただの独り言。その答えはすでに私の中に出ていた。

その日、久しぶりにあの夢を見た。
黒髪の男の子と私にそっくりな女の子が出てくる、あの夢。けれど夢の内容は昔見たものとは違っていて、男の子だけしか出てこない。どうしたんだろう、と思う間もなく男の子が私に歩み寄って右手を差し出してくる。
「やっと見つけた! リン」
「え……?」
それは明らかに私に向けて放たれた言葉だった。
十数年前この夢を見たとき、これは自分の前世のことを見ているんじゃないかと思った。
殆ど同じ顔、同じ声、仕草、そして名前。それほどまでにこの夢に出てくる女の子は私との共通点が多かった。だからそう、思うことにした。
非現実的だろうとなんだろうと当時の私にも、そして成長した今の私にもそれくらいしか思いつかなかったし、思いつかない。そこまではいい。
けれどいまこの男の子は私に向けてやっと見つけたと言った。
やっと見つけた。
聞き流すにはどうにもおかしい言葉だ。
その言葉からは長い時間をかけて私のことを見つけ出したというニュアンスがある。だけど私はこの男の子に会ったことなど一度もない。見つけた、なんて言われても見つけられた覚えはない。
けれど男の子の目はどこまでもまっすぐに私を見つめている。疑いようがないほど、私に向けて手を差し出している。
もしかしたら自分が意識していない間に会っているのかもしれない。
そう思い、最近の出来事を思い返して、ようやく男の子の言葉に納得がいく。
医師という立場でありながらこんなことを考えてしまうのはどうなのだろうと思わなくもないけれど。夢と現実をごちゃ混ぜにしていると言われても仕方の無いことだけれど。
けれど、今の私にはこの可能性しか導き出せない。
昼間のあれはあながち間違いではなかったのかもしれない。この男の子は――あの人の前世なんだ。


あの日からいくらか日が経ったある日、私はまたおばあさんをお茶飲みに誘った。先日のお詫びもしたかったし、もしかしたらあの人も来てくれるかもしれないという浅はかな思いがあった。もし来てくれたならば今度こそちゃんと話をしてみたい。
私の導き出した結論が本当に正しければ、あの人と私との間には前世から繋がる強い縁があることになる。
非科学的なことを考えているという自覚は十分ある。だけど、一度気になってしまうとどうにも確かめたくて仕方がない。
そろそろ頃合いだろう、と急須にお湯を注いだところで外に人の気配を感じる。一度大きく深呼吸をして診療所の扉をゆっくりと開く。
「こんにちは」
なるべく普通に、いつも通りに。強く心がけていたことが功を奏したのか、私の表情はにこりと笑みを作り出す。
おばあさんはいつもの柔らかくて可愛らしい笑みを浮かべ、対して彼の方はなんとなく微妙な表情を貼り付けている。どうしてそんな表情をしているのか気にはなるけれど、それを訊けるほど私とこの人との間にそれ程の親交はない。
「こんにちは、先生」
「こん、にちは……」
「どうぞ中へ。そろそろいらっしゃるだろうと思って準備してたんですよ」
二人を招き入れて、席につくのを見届けてから湯呑へ茶を注ぐ。配膳を終えて、まず最初に言うべきことを言ってしまおうと私は気持ちを固める。
「この間はすみませんでした」
私の謝罪の言葉に二人は揃って首を傾げる。そうだ、何がすみませんなのか全然説明していなかった。慌ててこの間の急患のことだと伝えようとしたところでおばあさんが小さく手を振る。
「そんなそんな。お医者様なのだから急患の方を助ける方が大事じゃないの。気になさらないで」
まさか私の意図を読み取ってくれていたとは思いもしなくて一瞬目を見開いてしまう。
確かに私は医師で患者を助けることは何よりも優先すべきことではあるけれど、自分から提案したお茶飲みを中途半端に終わらせてしまったことに後悔や罪悪感がないわけではない。
「はい……」
「今日もお茶が美味しいわね」
どうにも耐えきれなくて目を伏せると、おばあさんの誉め言葉が返ってくる。たったそれだけなのだけれど、少しだけ私の気持ちは楽になった気がした。
「……ありがとうございます」
小さくお礼の言葉を述べた後、訪れるのは静かな時間。三人が三人とも話すべきことが見つけられないまま沈黙がこの場を支配する。
伏せていた視線を上げると、彼がなんだか気まずそうにおばあさんのことを見ているのが映り込む。おばあさんはおばあさんでお茶とお菓子を楽しんでいるようで、隣のことなどあまり気にしていないように見える。大人の余裕、というかこの静けささえも楽しんでいるみたいで羨ましくもある。
ふと湯呑に視線を落とすと、そこに映っているのはどこか子どもっぽい顔をした自分の顔。これでもそろそろ三十路に入ろうかというところなのに、いっこうに大人っぽく見えないのは幼い顔のせい?
と、正面から小さなため息にも似た声が漏れる。なんだかそれがこの静けさに妙に響いて、私が小さく笑うとおばあさんもそれにつられて笑ってくれる。
「なんだかジジ臭いわねぇ」
「ジジ……!?」
おばあさんの冗談なのか本気なのかわからない指摘にショックを受けたのか、彼は苦い笑みを作る。
あの男の子が今、目の前に座るこの人の前世なんだとすると、この苦い笑みも、ちょっとした仕草も、本当にそっくりに見えてしまう。それがますます私の夢物語のような結論を裏付けていく。
気がつけばお茶はすっかり冷めてしまっていた。
「お茶、おかわり淹れますね」
言いながら急須を取り上げる。それと同時にまたも診療所の扉が勢いよく開かれる。
驚いて扉の方へ視線をやると、全身泥まみれの男性が飛び込んできたのが見えた。この年頃の男性が泥遊びをするとは考えにくいし、緊迫した様子からただ事ではない事態が発生したことを察する。
「先生大変だ! 近くの斜面で土砂崩れがあって何人か巻き込まれちまった! すぐに来てくれ!」
「わかりました」
またもお茶飲みが中断してしまったことを心の中で悔いながら二人に頭を下げる。
ごめんなさい。この埋め合わせはまたいつか。
治療器具一式が入ったカバンを掴んで、泥まみれの男性の後を追って私は診療所を飛び出す。ほどなくして背後から追いかけてくる足音が聞こえる。誰だろう、と振り返る間もなく、その人は私の隣に姿を現した。
「荷物持ちます」
その声の主はあの人だった。
「え!? どうして……」
驚く私とは対照的に彼はとても落ち着いた様子で端的に言葉を伝える。
「こういう時は人手がいると思って」
「でも」
「それにオレはこういう事態に慣れてます」
それは見栄でも虚勢でもなく、事実そのものを言い表している、というのはすぐに理解できた。
頼もしいと思うと同時に、この人はいったいどんな生活を送っているのだろうと少しだけ不安にもなった。
けれど、ここまで追いかけてきてもらった以上、今更診療所に戻ってほしいなんて言えるはずもない。それに土砂崩れからの救出なら人手はあった方が絶対いい。
「……わかりました。お願いします」
私からの要請に小さく頷いてから、彼はカバンを引き取ってくれる。おかげで私は走ることに専念でき、それからしばらく行ったところに件の現場はあった。
「……っ!」
惨状。その一言がこんなにも相応しい状況を私は見たことがない。もともとここら辺の斜面は危なかった。それが数日前の雨をきっかけにとうとう崩れてしまったようで、上の方を確認するとまたいつ崩れるかもわからない危険な状態となっている。
救出しつつ治療判断と搬送をしなければならないけれど、圧倒的に人手が足りない。今から近隣の人達に声をかけて間に合うか、どうか……。否、今はあれこれと考えている余裕はない。まずは一刻も早く土砂から助け出さなくちゃ。
一歩踏み出そうとしたところで隣からボンッという音が聞こえる。まさか何か爆発でもしたんじゃ、と慌てて顔をそちらに向けると、彼が何人もいる状況に私は目を丸くする。
「……!」
けれど驚いたのもほんの一瞬で、だからか、と私はつい先程の会話にようやく納得する。
「それにオレはこういう事態に慣れてます」
この人は忍だったんだ。だから、こういう事態にも慣れているんだ……。
「オレが救助してきます。えっと……先生はここで治療の準備をしててください」
「は、はい」
釘をさされた気がした。そうだ、ここには医師は私しかいない。救助に出て万が一、二次被害を受けて私が動けなくなってしまったら誰が救助者の応急処置等をやるというのだ。しっかりしなくちゃ。
パチンと少し強めに自分の頬を両手で叩いてから、カバンから治療道具を出して、いつでも処置ができるよう私は気を引き締めた。

「先生、お願いします!」
「はい!」
救助された人が次々と運ばれてくる。一人で診るにはかなり無理があるけれど、それは仕方のないことだし弱音を吐いている暇なんてない。この場でできる最低限の応急処置を終えたら今度はこの人たちの搬送先を決めなければならない。怪我の度合いや状況を鑑みて頭の中で救助者を振り分けていく。
よし……!
顔を上げて、いざ呼ぼうとした時。私は彼の名前を知らない、というところに思い至った。
もう会うのは二度目だし夢の中でも彼の前世と思われる男の子に会ったからうっかりしていたけれど、そういえば自己紹介もまだだったんだっけ……。
名前を呼べない。それがなんだか無性に寂しくて、悲しくて心の奥底に靄がかかる。どうしてそんな風に思うのか、自分のことなのによくわからない。だけど今はこの状況をどうにかする方が先決なのだから、と自分の心に蓋をして少しの間だけ見ないふりをする。
「あの!」
自分でも驚くような大きな声に、彼が気付いて駆け寄ってくる。名前で呼んだわけでもないのに、呼んでいることに気付いてくれたことが何故だかとても嬉しかった。
「あっちの三人とそこの人、それとあの人を救急病院へ、その二人は最寄りの整形外科へ、この人は軽傷なのでうちで治療します」
「わかりました」
一人、また一人と運び出し、最後の一人を運ぼうとした時だった。
彼が顔を青ざめながらゆっくりと斜面の上の方へ首を傾ける。それにつられて私も同じ方向を見――
「――!」
泥だらけの手が私と最後の救助者を突き飛ばす。
その瞬間、頭の中に見たこともない映像が流れる。
落下する大岩。離された手。そして右半身を岩に挟まれた――あの男の子。
待って、やだ、私はまた……――。
感情が流れ込んできて混乱する中、咄嗟に彼の手を掴もうと腕を伸ばす。けれど、それは掠ることもできず滑り落ちてくる岩と土砂に彼の体が呑み込まれる。
「……っ!」
あまりに一瞬のことで叫び声さえ出なかった。茫然と立ち尽くす私の背中に弱々しい声がかかる。
「た、助けないと……!」
それは私と一緒に突き飛ばされた、最後に救助された人の声だった。はっと我に返るも、この状況をどう処理したらいいか頭が追い付かない。
まずはこの救助した人の手当て……それよりも彼を助け出すのが先? 一人でできる? それとも搬送に行った人の戻りを待ってから……?
ぎゅっと目を瞑り、心を決める。
「こんなことをあなたに言うのは医師として間違っていることは重々承知の上なのですが、動けますか?」
私の言わんとしていることを察してか、隣の男性は大きく首を縦に振ってくれる。
「大丈夫です。それに先生が言ったんじゃないですか。俺は軽傷だって」
その言葉に視界が潤む。けれど泣いている時間なんてありはしない。私は男性と共にあの人の救助に取り掛かった。

「お願いします、彼を助けてください。また、また……助けられないのは……嫌なんです」
土砂の中から彼を見つけ出し、あの場でできる限りの処置を施した後、私は救助者の男性と共に救急病院へ駆け込んだ。
全身泥にまみれ、擦り傷切り傷を体中に作った姿で現れた私たちを、その場にいた全員が驚きの表情を持って迎え入れてくれた。
彼を担架に乗せ、状況及び状態説明をした後、私は担当医に思いを告げた。
また助けられないのは嫌。
それは私の言葉だったのか、それともあの時流れ込んできた前世の私の言葉だったのかはわからない。けれど、それは嘘偽りのない思いだった。
もうこの場で私にできることはない。
私は医師だけれど、ここの病院に属しているわけではないし、たとえ属していたとしても今のこの格好では治療室にすら入れてはもらえない。
救助者の男性と院内で別れ、私は置いてきた荷物を取りに一人土砂崩れの現場へ赴く。
体が重い。疲労からくるものではなく、気持ちからくるものだというのはわかっていた。
助かってほしい。助かってくれなくちゃ嫌だ。
あの病院なら設備もちゃんとあるし大丈夫。
だけど万が一ということがあったら……?
考えれば考えるほど、どんどん後ろ向きな感情があふれてくる。それを払うように頭を左右に振って、カバンを持ち、よたよたと頼りない足取りで診療所に戻る。
扉を開けると、おばあさんが出迎えてくれる。
「先生、お疲れ様でした」
「……は、い」
私が一人で戻ってきたことに、おばあさんは何も言及しない。どうしたものかと思ったけれど、話さなければならない気がして、私はあの場で何が起こったのか端的に説明をする。全部聞き終えて、おばあさんは私に向けて再度お疲れ様でしたと言葉をかけてくれる。
「あの子なら、大丈夫ですよ。何と言っても、私たち近所の年寄りの自慢の息子であり孫ですもの」
何の根拠もない言葉だけれど、何故だろう。この人が大丈夫、と言うと心が軽くなる。
それはきっとこの人があの人のことを良く知っていて、圧倒的なまでの信頼感からくるものなのだろうと思う。
「先生、ひとまず泥を落として落ち着きましょう。そしたら、一緒に病院に行ってもらえるかしら?」
おばあさんの声にはほんの少しだけ不安の色が滲んでいた。
ああ、私はなんて勘違いをしていたのだろう。良く知っているから、圧倒的な信頼感があるからこそ不安になることもあるんだ。あの人のことを知れば知るほど、どう思って、何を考えて行動するかがわかってしまう。わかってしまうから心配になって不安になる。
「あの子なら、大丈夫ですよ。何と言っても、私たち近所の年寄りの自慢の息子であり孫ですもの」
そう、はっきりと言えるくらい大切な相手が病院で治療を受けているというのに。本当なら今すぐにでも駆けつけたいと思っているかもしれないのに。
「わかりました。急いで泥を落としてきます」
「……ええ」
シャワーで泥を落とし、濡れた髪を乾かす時間すら惜しんでおばあさんの元へ急ぐ。
「髪はちゃんと乾かしなさいな。風邪をひいてしまうわよ」
苦み交じりの優しい笑みで、そう言われた。

病院からおばあさんを家まで送り届け、診療所に戻ってきた私はまるで糸が切れた人形のように布団に倒れこむ。
大きく息を吐き出してから瞼を閉ざすと、病院で担当医に告げられた言葉が思い出される。
「ひとまずの危機は乗り越えました。あとは意識が戻り次第、と言ったところです」
よかった。本当に良かった。
涙が一筋、二筋と流れていき、布団に小さな染みを作っていく。
身体的、そして精神的疲労から襲い来る睡魔に抗うことなく、睡魔に体を預ける。
意識が夢の中へ誘われた瞬間、あの男の子が現れる。
「……あ、えっと」
言葉に詰まる私に、男の子はゆっくりと近づいてきて照れくさそうに白い歯を見せて笑う。
「助けてくれてありがとな」
それが私に向けての言葉なのか、それとも前世の私に向けての言葉なのか、考えているうちに男の子の体がどんどん透けていく。
それは今までの夢とは明らかに違っていた。これまでは私が目が覚めるまで男の子の姿があったのに、今回は先に向こうの姿が消えていく。しかも、もう会えないんじゃないかとさえ感じてしまうような不穏さを強調して。
「ま、待って!」
慌てて手を伸ばすも、またも私の手は届くことなく空を掴む。残された私はただ自分の手のひらを見つめることしかできなかった。


事故、そしてあの男の子が消えてしまった夢を見てから十日、遂にあの人の退院の日がやってくる。最初の一週間は意識が戻っていなかったからお見舞いに行くのを躊躇っていたし、目覚めてからは今度は診療所に立て続けに急患が入ってしまってそれどころではなかった。
そもそも親族でもなければ知人と言うにも関係性が足りない状態でお見舞いに行くというのもなんだか違う気がする。そう、自分に言い訳をしているとおばあさんが遠慮がちに口を開く。
「あの子、先生のことを気にかけていたようなのだけれど、退院したらこちらに連れてきてもいいかしら?」
「あ、はい。大丈夫です」
「午前中は退院手続きとかで終わってしまうだろうから、伺うとしたら午後かしらね」
「……わかりました。またお茶の用意をしておきます」
「それは楽しみね。先生が淹れてくれるお茶は美味しいものね」
優しい笑みを浮かべて、おばあさんはそれじゃあと席を立つ。家まで送ろうと私が椅子から立ちあがると、おばあさんはそれを制した。
「まだ明るいし大丈夫よ」
「でも」
「それに今日はこの後寄るところがあるの」
そう言われてしまえばこれ以上言葉を重ねるのは野暮というもの。そうですか、と会話を終えておばあさんの背中を見送る。
「…………」
一人になってしまうと、ここはこんなにも広かっただろうかと思ってしまう。
最近は特におばあさんやあの人がお茶を飲みに来てくれたりしていたから余計そう感じてしまう。両親が亡くなってから今までずっと一人でいたのに。
心のどこかではこの状況を寂しいと感じていることに驚いた。
暗い思考を断ち切るように一度首を大きく振って、明日のための片付けと準備を始める。

翌日、気付けば時計の針は午後一時を回っていた。お茶の準備もすでに整えて、あとはあの人とおばあさんが来るのを待つだけの状態にしてあるため、ただ待つだけという状態は少し落ち着かない。
そういえば、こんな風に何もしない時間というのは久しぶりかもしれない。
ここを引き継いでからはのんびりとした時間が多いと言えど、誰かしらは訪ねてくるし、一人で切り盛りしているから事務作業も当然自分一人でやらなくちゃいけない。
毎日何かしら手を動かしていたからか、何もしていないということに体が慣れていない。
「……カルテの整理でもしてようかな」
呟くように言葉をこぼしたその時、扉がノックされる。大きく二度ほど深呼吸する。
「どうぞ」
思った以上に声が出なくて自分でも驚く。
ギィ、と扉がその口をゆっくりと開け、彼とおばあさんを招き入れる。
「こんにちは」
「こんにちは……」
笑みを作って挨拶をすると、彼は少々戸惑い気味に返してくる。
「時間通りでしたね」
「ええ」
今度はおばあさんに向けて笑みを向けると、おばあさんはいつもの優しい笑みで返してくれた。
「今日は休診日にしてますのでこの間みたく誰かが駆け込んでくることはないと思います」
言いながら身振りで二人に着席を促す。その間に先程沸騰させて置いておいたやかんを手に取り、急須へとお湯を注ぎ入れる。しばらく蒸らしてから急須を傾けて湯呑に淹れていく。
「どうぞ」
「ありがとう、ございます」
お茶とお菓子を出したまではよかったけれど、それ以降何を話したらいいのかわからず、三人とも口を閉ざしてしまう。
「…………」
「…………」
けれどそれも長くは続かず、沈黙に耐えきれなくなったのか、目の前に座る彼は言葉を選びながらゆっくりと口を開く。
「あの」
重々しい口ぶりはいつかの会話を思い起こす。
「……はい」
「この間は助けてくれてありがとうございました。あなたですよね?」
「よく、わかりましたね」
どうしてわかったのだろう。救助した時も病院に搬送した時も意識はなかったはずなのに。しかしそれはその後に続いた言葉ではっきりとする。
「あの場にはあなたしか医者はいなかったですし、それに病院で担当医からあなたらしき人がオレを病院へ運び込んできたと聞きました。それと……」
彼の言葉が途切れる。まるでこの先のことを訊いてもいいものか迷っているようだった。
それでも気持ちを固めたのか、一度息を吐き出して彼の瞳は真っ直ぐ私の瞳を見つめる。
「それと、あなたが重傷のオレを引き渡す時に、また助けられなかったら嫌だというようなことを言っていたことも、聞きました。……オレとあなたは、この前初めて会ったはず、です。だからそんな言葉が出てくるのはおかしいんです」
「…………」
「あなたは……オレが夢に見たあの女の子とそっくりなあなたは、いったい誰なんですか……?」
「私、は……――」
ずっと、話してみたかった。
私と同じように、おそらく相手の前世の姿を夢に見たあなたと。
視線を落としてから、どう伝えたらいいか頭の中で道順を作っていく。けれど、最後に行き着く先は下手に飾り立てた言葉ではなく、思っていることをそのままの形で表現する、というものだった。
たどたどしくてもいいじゃない。ちゃんと、思いを伝えることが大事なのだから。
視線を上げて、彼の瞳をしっかりと見つめる。先程彼が私に対してやったことと同じように。
「こんなことを言っても信じてもらえるかどうかわからないんですが……。私には、おぼろげながら前世の記憶……のようなものがあるんです」
「……前世の、記憶?」
予想通り、と言ってしまうのはなんだか寂しいけれど彼の眉間に一本皺が増える。けれど話し始めたのだから今更止まることはできない。私は言葉を選びながらそれを音に乗せていく。
「はい。幼い頃からそれはあって、自分の見たことのない風景、聞いたことのない声、経験したことのない感情が寝ている間に時々夢として再現されました。最初はそれが何なのかわからなくて、ひたすら困惑しました。けれど何度かそれを見て、もしかしたらこれは私の前世のことを見ているのかもしれない、と思うようになりました。医者の家系に生まれたのに前世なんてものの存在を信じて、私自身非現実、非科学的なことをしているというのはわかっていました。けれど、そうでなければ説明がつかなかったんです」
おそらく聞く人が違えば笑われたり、もしかしたら心配されるようなことを話している、という自覚はある。
けれど、あなたなら大丈夫だと思った。
私と同じように前世の姿を夢に見たあなたならちゃんと話を聞いてくれる、と思った。
話を聞いてその結果なんだそれはとなるなら、寂しいけれどそれは仕方の無いことだと割り切れる。
そっと彼の表情を窺うと、なんだか気難しそうな表情を浮かべている。
ああ、だめだったのかな……。
俯きそうになった時、助け舟とも言うべきおばあさんの問いが投げられる。
「……具体的にはどんな夢を見てらしたの?」
その声色はとても穏やかで優しかった。それにより少しだけ顔を上げることができた。
「この里の忍として生きた夢でした」
この先を言ってもいいものか一瞬迷う。けれどここまで話した以上、何を隠すことがあるのか、とも思う。躊躇していた心を何度かの瞬きの間に奥底へと追いやって、言葉を続ける。
「私と白銀髪の男の子とそれとあなたとで三人一組を組んで任務に奔走していました」
「は? ……え?」
彼の驚きと焦りは当然のものだと思う。前世の話ですら現実からかけ離れていたというのに、そこで自分の名前が出てきたら私だって今の彼と同じ表情をすると思う。だから気持ちが落ち着いてからでないとこの先の話はしてはいけない気がした。
おばあさんに横腹を小突かれて、少しだけ冷静さを取り戻したのか、彼の表情が先ほどよりも落ち着いたものへと変わる。それを見て私は話を続ける。
「……そんな夢を幼い頃から見ていたので、あなたに初めてお会いした時、とても驚きました。最初は随分顔の似ている人だなって思いました。だけど、細かな仕草が、他人を思いやる優しい心が、夢の中でしか見たことがなかった男の子そのもので、次第にこの人はあの男の子の生まれ変わりなんじゃないかって思うようになりました。前に、夢に私に似た子が出てきたって言ってましたよね? どんな子でした?」
最後に問いかけたのは、この人の見た、私にそっくりの女の子というのが前世の姿だったのかという確認と、あと単純に興味があったから。
思い返せば、彼が夢の話をしてくれた時、なんとなく、という曖昧な感覚ではあるけれど、その子に対して特別な思いを抱いているように見えた。それが心の端の方に引っかかっていて――もっと単純な言葉を使うならば、いいな、と思った。
優しくて、頼りがいがあって、自分の身を犠牲にしてでも誰かを助けようとするその心に留まれるなんて、いいなと思ってしまったから。どうしてそんな風に思うのか、自分でもよくわからないけれど。だけどこれは嘘偽りのない本心。
「どんな子……。えっと、髪はあなたと同じくらいで頬に紫のペイントをしてて、上下黒の服に白い腰巻をしてて……」
その特徴からやはり彼の夢に出てきた女の子というのは私の前世の姿であると確信する。
そっか、私の前世……だったんだ。
「そうですか……。あなたが夢に見た女の子はおそらく前世の私だと思います。夢の中で写真を見たことがあって、そこに映っていた姿が今言った特徴に合致します」
「オレが夢で見てたあの子は、あなたの前世の姿だった……?」
「おそらくは」
「そう、ですか」
私の確信を持っての結論を聞いた彼はどこか寂しそうな表情を浮かべる。それを見て、胸がちくりと痛む。
この人は、前世の私に特別な思いを抱いていた。けれどそれが泡のように消えてしまったのだということがわかってしまった。小さい頃に夢を見たと言っていたし、もしかしたら初恋だったのかもしれない。
この痛みについてあれこれと考えたい気もするけれど、ひとまずこれを言わずしてこの話を締めることはできない。
本来、夢は自分の経験や体験を睡眠時に脳が整理をし、その過程を再生しているだけで当然経験や体験をしたことのないことは夢に見ない。
けれど彼の話を聞く限り、夢に見たのは私の前世の姿だけで自分の姿は見ていない。普通に考えればそれはおかしいことなのだけれど、ここで私はあの約束の夢を思い出す。あの約束が強い縁として働き、彼に私の前世の姿を見せたのではないかと考えた。
どうして自分の前世の姿を夢に見なかったのか、とか詳しい過程も理論もわからないし、そもそも前世という非科学的なものを大前提として置いているのだから私の専門外もいいところ。
だからこれは医師の私ではなく、私個人的な意見であり、願望。
「これは、私が勝手にこうだったらいいなという憶測で言うんですけれど」
そう前置きをして、言葉を並べていく。
「私の前世とあなたの前世には何か強い絆……というか縁のようなものがあって、それが要因となってあなたの夢に私の前世の姿が出てきたのではないかと思いまして……。ただこれは本当に私の願望というか、その」
「オレもそうだったらいいなと思います」
オレもそうだったらいいなと思います。
何度も、何度も私は胸の内でその言葉を繰り返す。
もしかしたら同意ではなく同調しての言葉なのかもしれない。けれど今の私にはそれだけで十分すぎるくらいだった。
「……! ありがとうございます。ただ、こんな話をしましたが、私はあなたに前世の姿を重ねて見ることはしません。たとえ前世の私たちがどんな仲であったとしても、私はあなたとはじめましてから始めたいと思っています」
そう、私はあの男の子と目の前に存在している彼とを、同じ人としては見ないと決めた。それをきちんと言葉にして決意を表明する。
最初のきっかけこそ似ていると思ってしまったけれど、だからといって姿を重ねていいという理由にはならない。
私自身もそう願うから。
今を生きる私は、前世の私とは違う。重ねて、同一視をされたところで苦しくなるだけだから。悲しくなるだけだから。
過去を現在と重ねて、比較することは良い結果をもたらすとは限らない。むしろそれは過去に囚われていると言っても過言ではない。
たぶんそれは彼も知っている。
「……はい」
小さな同意は私の笑みを引き出してくれる。
おずおずと右手を差し出して、初めの一歩を踏み出す。
「ずいぶんと遅くなってしまいましたがはじめまして、のはらリンです」
「はじめまして、うちはオビトです」
私の手を取って、彼は不器用な笑みを作って言葉を返してくれる。
はじめまして、今日の貴方。
さようなら、あの日の君。