約束したでしょ、だから連れてって


「ねえ、オビト」
「ん?」
「あの約束、覚えてる?」
「約束?」
リンのにこやかな笑みにオレは単語を繰り返しながら首を傾げることでしか返答ができない。
やばい、約束って何のことだ? オレ、何か約束したっけ?
大急ぎで頭の中にある引き出しをひっくり返してみてもリンの言葉に見合う結果を探し出すことができない。
ここでリンに答えを求めるのは簡単だけれども、それはなんだか格好悪いしなによりこれ以上リンに失望されたくはない。なんとか自力で思い出さなければ。
「あー、えーっと、あれだよな、うん」
そう間を引き延ばそうと試みるも咄嗟に言葉が出てこない。そりゃそうだ。何も考えずに口だけ先行している状態なのだから。
「やっぱり覚えてないんだね」
「いや、そんなことは……ない、んだけど……」
自信のなさから言葉も尻すぼみになってしまう。
リンの言葉通り、約束という単語で思い出すものが見つけられなかったからだ。
「覚えてないならいいの。でも覚えてくれてたら今日だったねって話」
ほんの少し寂しさを滲ませた笑みに、ぎゅっとオレの心臓が罪悪感という見えない手によって握られる。
「今日……?」
「ううん。なんでもない。それよりミナト先生が一緒にご飯食べようって言ってたよ。行こう、オビト!」
「え、あ……おう……」
未だに罪悪感が残っているからか、約束とは関係のない話題の返事も覇気のないものになってしまう。そんなオレを見かねてか、リンの小さな手がオレの無骨な手を握り、引く。こうしてリンに手を引かれるのは何度目だろう。何度経験してもやっぱり気恥ずかしさとむず痒さと、あと少しだけ情けなさが混じる。
本当なら、オレがリンの手を引きたいのに。
今のこの状況をバカカシが見たらでかいのは体だけなのかと言われそうだな。
でも仕方ないだろ。
相手はリンなんだから。
初恋にして最後の恋の相手。
思いを告げられずに拗れに拗れてここまできてしまったんだから。
「どうかした?」
オレがやけに神妙な顔つきをしているものだから、リンは小首を傾げ、問いを投げかけてくる。
それになんでもないと返して、縫いとめていた足を前へと進ませた。

果たして浄土で飯を食う必要はあるのかと言われれば、多分ない。元から死んでいるのだから餓死という概念はないし、そのおかげか特別腹が減るということもない。
だから食事というのは一種の娯楽のような感じになっている。娯楽なのだから食ってもいいし食わなくてもいいはずなのに、何故か毎回ミナト先生のところで飯を食うのが最早習慣となっていた。
「ん! そうだね。それはオビトが自力で思い出さなくちゃだめだね」
「でもほんとに思い出せないんだよ」
昼飯を終えて、先ほどのリンとの会話をミナト先生に話すとそんな言葉が返ってきた。
自分で思い出さなくてはいけないこと、というのは重々理解している。なにせ、オレとリンとの間に交わした約束なのだから。だけど、リンと約束をしたということは少なくとも十五年近く前ということ。その間にも色々とあったから一体どのことなのやら……と思いながらもリンとの約束を思い出せない自分が情けない。
ずっとリンが好きだと言っておきながら交わした約束を思い出せないなんて。
大きくため息を吐き出すと、ミナト先生からは苦味混じりの笑みが返ってくる。
「そういえば、今日は現世では流星群が見られるらしいよ」
恐らく話題を変えるために口にしたであろう言葉。その中の流星群という単語が頭に引っかかる。
そういえば昔、リンと――。
「オビト」
「また見に来ようね」
「今度はみんなも誘って」
「忘れないでね」
唐突に思い出されるのはずいぶん昔のリンの言葉。
そうだ、そうだった。
オレはあの時約束したんじゃないか。指切りまでしたのに、なんで今の今まで忘れていたんだろう。
それにリンの覚えてくれてたら今日だったという言にも合致する。
そうか、リンは今日が現世で流星群が見られることを知っていて、それで昔した約束を話題にあげたのか。
「オビト? どうかしたのかい?」
急に黙ってしまったオレを不思議に思ったのか、ミナト先生は先程のリンと同じように小首を傾げてオレに問いを投げかける。
いつのまにか俯いていた視線を上げて、ミナト先生の瞳に焦点を合わせる。
「先生、思い出した。オレ、昔リンとまた流星群見に行こうって約束してた」
「そうかい。思い出せてよかったね」
先生の笑みが混じりっけなしのにこやかなものに変わる。それは心の底からそう思ってくれている、ということに他ならない。
「先生、一つ頼みがあるんだけど」
オレの頼みごとを、先生は二つ返事で引き受けてくれた。

「リン!」
どこか寂し気な雰囲気を見せるリンの背中に声をかける。名前を呼ばれたリンは一瞬びくりと肩を上げた後、ゆっくりとこちらへ振り返る。
「オビト? そんなに慌ててどうかしたの?」
「流星群見に行こう!」
オレの突然の提案に、リンは目をパチクリとさせて言葉に詰まる。まるでどう答えたらいいかわからない、というふうに。否、もしかしたら約束を思い出したのかと思っているのかもしれない。
何にしても、少しだけ困惑色に滲む表情は口に出す言葉を選びきれていないようだった。
「えっと……」
漸く出てきた言葉はやはりと言うべきか惑っていた。
「あの時みたく、オレとリンの二人だけだし、約束した、みんなってわけじゃないけど。行こう、リン」
不器用な笑みを作ってリンに左手を差し出す。手を取ってもらえるかはわからない。今更なんだと言われるかもしれない。だけど、思い出したのならば、思い出せたのならば、もう十五年以上も前の約束であったとしてもオレはこの手をリンに伸ばさなくてはならない。何せ、死んでもなお好きでい続ける大切なリンとの約束なのだから。
「オビト……約束思い出してくれたの?」
大きな瞳は喜びと驚きが入り混じってきらきらと輝いている。その瞳のまっすぐさにほんの少しだけ心がぐらつく。本当はついさっきまですっかり忘れていた――とは到底口にできない。
「ああ……」
「ありがとう!」
リンの笑みはこれでもかというほど可愛らしくてぎゅっと胸が締め付けられる。可愛いすぎるだろ。
差し出した手にリンの手が重ねられる。壊れ物を扱うかのように優しく握る。
「ふふ……」
「……? どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない」
妙に嬉しそうにリンが笑う。それに首を傾げながらもそれじゃあ行くかと再び似合わない笑みを浮かべてリンから視線を外す。斜め後ろから「うん!」と可愛い答えが返ってきて危うく頰が緩みそうになるのを口を引き結んで必死に堪える。
「そういえばオビト、右手に持ってるそれ、なに?」
リンの興味がオレの右手に持っているものに移る。そりゃ、オレに不釣り合いな色合いの風呂敷に包まれたこれを見れば誰だって視線を奪われるだろうし興味だって引かれるだろう。実際持っているオレ自身も三秒に一回くらいのペースで右手に視線が行きそうになる。
「これか? 弁当だよ」
「お弁当?」
返答が予想外だったのか、リンは目を丸くする。オレと弁当という単語が上手く結びついていないみたいだ。
「オビトが作ったの?」
「そんなわけないだろ。ミナト先生に頼んでクシナ……さんに作ってもらったんだよ」
「そうなんだ」
「ああ」
リンは笑うだけでそれ以上何も言わずしばらく沈黙がオレたち二人の間に訪れる。その間も歩みは止めることはせず、気付けば浄土と現世との狭間にまで来ていた。
一度リンの方へ首を傾ける。
「行くか」
「うん」
そして軽やかにオレたちは現世への道を踏み出した。 


昔流星群を見に行ったあの場所へ、リンと一緒に朧げな記憶を頼りに歩みを進めていく。途中何度か迷ったけれど、無事流星群が流れ始める前に到着することができた。
「ここらへんでいいか」
「うん」
あの時はリンが敷物を用意してくれていたけれど今回はその用意はないので原っぱに直座りしなければならない。といっても霊体である以上、現世に在るものに触れることはかなわない。なので地面につくかつかないかのぎりぎりのところを座る体勢を取りながらふわふわと浮いている感じになる。側から見ればなんて間抜けな絵面だろうと思わなくもないけれど、幸いにしてオレたちの姿を見ることができる現世の人間は数少ない。余程霊感の強い人間でもない限り見られることはまずないだろう。だからまあ、安心してこうして流星群鑑賞ができる、というわけだ。
「なんだか不思議な感じだね」
「不思議?」
リンのぼそりとこぼすような声に微かに首を傾げる。
「あの日約束をした時にはまさか大人になったオビトと流星群を見に来るなんて思いもしなかったなって。大人の姿のオビトと子どもの姿の私っていう今のこの状況がなんだか不思議だなって思ったの」
「そうか……。リンが気になるなら姿を変えることはできるけど」
「ううん、大丈夫だよ」
そう言って、リンは腰を下ろし、オレにも座るよう促す。といっても座る体勢をとるだけで本当に座れるわけではないけれど。
「そういえばクシナさんがお弁当作ってくれたんだよね! それ食べながら始まるの待ってよっか!」
話題を変えようという意図があってか、リンがパチンと手を叩く。
「そうだな」
リンの提案に頷きながら風呂敷を開くと中から出てきたのは透明な容器に入ったおにぎりと唐揚げと卵焼き。それに水筒とコップが二つ。
水筒が入ってたのか……。道理で重たかったはずだ。
リンはじっと風呂敷の中身を見つめた後、
「これぞまさしくってお弁当だね」
と、にこりと笑みを作る。それにつられてオレもゆるく口角を上げる。
「おにぎりの具ってどれも同じかな?」
「さあな、そこまでは訊いてなかった」
「そっか」
言いつつ、リンは何個かあるおにぎりのうち一つを手に取ると、大きく口を開けてそれにかじりつく。と、笑顔から一変、突然リンの瞳は涙で溢れ、顔色は真っ青になる。
「――っ! ――っ!」
何かを訴えかけようとするものの、口におにぎりが入っているためにそれも叶わず。そしてオレはそんなリンを見てどうしたらいいかわからず、困惑した表情をすることしかできない。
ようやく口の中にあるものを飲み込んだ後、リンは一つ息を吐き出してから涙声で先ほど訴えかけようとしていたことを言葉にする。
「おにぎり、中身が梅干しだったんだけどすっごく酸っぱかった……。前に私が作ったおにぎりよりもずっと酸っぱかった……」
リンの口ぶりから察するに相当酸っぱかったのだろう。
ていうかリンが作ってくれたおにぎりよりも酸っぱかったってどんだけ酸っぱい梅干し使ったんだよあの人。
流石に思ったことをそのまま口に出すのはいくら何でもよろしくない。一瞬どうしようか悩んで結局オレは「そっか」としか言えなかった。
とりあえず少しでも刺激が和らげば、と水筒の中身をコップにあける。と、中身は温かい茶だったのか、コポポと小気味の良い音と共にゆらりと湯気が立ち上る。
「はい、リン」
「ありがとう」
オレからコップを受け取ったリンは、冷ますようにそっと息を吹きかけてから一口それを含む。途端に、リンの表情が柔らかく解ける。
あ、今の表情すごく可愛い。……って違う。何を考えてるんだ、オレは。
雑念を振り払うように小さく首を振って自分の分のコップに口をつける。多少慌てていたのもあって舌を火傷しそうになる。熱すぎないか? これ。
「はー……お茶が美味しいね」
「……そうだな」
リンの笑みに自然とオレの口角も上がる。本当に不思議だ。リンの笑顔を見ると俺の表情も明るくなる。まあ、オレが勝手にそう思っているだけであってリンが特別何かをしているわけじゃないのだけれど。だけど無性にリンにお礼を言いたくて閉じていた口を開いたタイミングでリンから先に声が上がる。
「あ! オビト、見て!」
「え?」
見て、と言われた先――リンが指をさす方向では一筋、また一筋と星が流れていくのが見えた。
「始まったのか」
「そうみたいだね!」
いつもよりも少しだけテンションの高いリンの声。よほど楽しみにしていたことが窺える。ああ、一緒に来れて良かった。約束を思い出せて本当に良かった。
「すごいね! 綺麗だね!」
「リン、昔と同じこと言ってるな」
「そう? でも綺麗なものは綺麗だもん! 何回見たってたぶん私は同じことを言うと思うよ」
自信満々にそう、リンは胸を張る。ああ、そうだな。たぶん、オレ自身もそうだろうと思う。
「…………」
いくつもの星が流れていく中、ふと思い出したのは、流れ星が流れきる前に願い事を唱えると叶う、というもの。普段ならそんな迷信めいたもの信じたりはしないが、こんな幻想的な光景を前にして現実めいたことを考えるのは野暮というもの。それならせめてこの流星群が終わるまでは迷信だろうと信じてみたくなる。それくらいの力がこの流星群にはあった。
これだけの数が流れていればどれか一つくらい流れきる前に願いを唱えることができるだろう。
目を細めて心の隅で願う。
リンが幸せでいられますように――と。
最早死んだ身の上で幸せも何もないのかもしれない。けれど、願うだけならばいいじゃないか。
ずっと、ずっと好きでい続ける女の子。里を守るためにその身を捧げ、オレよりもはるかに先に浄土に来てしまった女の子。
きっとやりたいこともやってみたいこともたくさんあったはずなのに。幸せになるはずだったのに。それなのにリンは十代半ばでその人生を終えてしまった。それはリン自身がそう決めて、覚悟を持ってそうなったことだ。
だけどエゴでもいい。押しつけだと言われようともいい。オレはリンに幸せになってほしい。それは死した後も変わらない思い。
「そういえば流れ星が流れ切るまでに願い事を三回唱えたら叶うっていう話あるよね」
リンからこぼれ出た言葉に目を丸くする。まさか同じことを考えていたなんて思いもしなかった。
「流れ星って一瞬で流れちゃうしその間に願い事を三回唱えるってなかなか難しいよね。でもそれができたら本当になんでも願いが叶っちゃいそう」
そう言うリンの表情はとても穏やかで、落ち着いていて、だけど少しだけ寂しさのようなものが混じっている。まるで叶えたい願いがあるけれど、それは叶わないと言っているように。
こんな時気の利いた一言でも言えればいいのだけれど、生憎とオレの中にそんな言葉はない。だけど何か言わなくちゃいけない気がして必死に言葉を探す。
探して、探して、漸く見つけたのは「そうだな」という短くて味気ないもの。まるでオレの中身を象徴したような返事に自分でもがっかりする。
そうだなってなんだよ。もうちょっと気の利いた言葉が見つからなかったのか。
「オビトも何か願い事してみたら?」
「もってことはリンは何か願い事したのか?」
「それは内緒だよ!」
もうそれ、願い事したって言ってるようなもんだけど――とは口が裂けても言えない。
「なんだよ、教えてくれたっていいだろ」
「人に教えちゃったら願い事が無効になっちゃいそうじゃない?」
「そういうもんか?」
「そういうものだよ」
「……そうか」
「なんでちょっと残念そうなの」
「そんなことはない、けど」
「そう?」
小首を傾げてリンが問いかけてくる。その仕草が可愛らしくて胸が詰まる。
気付けば流星群は終わっていて、弁当も空になっていた。前に流星群を見に来た時もそういえばこんな終わり方をした気がする。
「流星群も終わったしそろそろ戻るか」
オレの提案にリンはそうだね、と少しだけ寂しそうな声色を零す。
それに引き摺られてかどうかはわからないけれど、次にオレの口から出てきたのは自分の意思とは違ったものだった。
「もう少し、ここにいるか?」
舌の根も乾かぬうちに、とはまさにこのことだというのは重々承知している。だけどリンの寂しそうな声色に、表情に胸が締め付けられて自然と言葉が口から出てきた。
「いいの?」
リンがオレの顔を覗き込んでくる。その瞳の色は先ほどまでの寂しさを帯びてはいない。
「別に急いで戻る理由はないからな」
そう。オレたちに急いで戻る理由はない。何せもうこの世の人間ではないのだから。だからこの世の時間に拘束されることもない。
「じゃあもう少しだけ」
「ああ」
そう言ってリンは既に流星群が終わってしまった空を見上げふっと目を細める。
「流星群、終わっちゃったねぇ」
「そうだな」
「なんだか寂しくなっちゃうね」
その寂しいような悲しいような、何とも言えないリンの横顔を視界に納める。
「また、見に来れたらいいね」
「そうだな」
それからしばらく夜空を見上げた後、オレたちは誰に知られるともなく浄土へと戻っていった。